2011年04月04日

宮城にて3【登米市の現地本部】

現地本部には毎日入れ替わりで50~60人のボランティアが集まってきていて、
とても活気がある。
服装からも判断しても、自然学校やアウトドア系の活動をしている人たちが多い。
たぶん、何かが起こったときの反応が似ているのだろうな。
とにかく現場を見なければ気がすまない。考えるより体が動いてしまう種類の人たち。


私の元職場の先輩や、昨年川の学校でお世話になった徳島の仲間などが来ていて、
予期せぬ出会いに驚いたり喜んだり。
もちろん、一般の会社員の人や学生もたくさんいた。
でも、とにかくみんな動く人たちなので、展開が速い。毎日がダイナミックだ。


体育館の中はとにかく寒い。夜は冬用のシュラフにカバーかけて、
ぜいたくにも毛布を4枚つかって寝たけど、まだ寒かった。
初日などはあまり寝られなくて、全然疲れがとれなかった。
地震から2週間たっても、まだ孤立した人たちが見つかる。
そんな避難所の人たちを思い、いかに寒いか、心細いかを想像した。
雪の降る寒さの中で、いつ来るかも、本当に来るかもわからない救援を待つ人たちがいる・・・


そんな人たちを探しに、「デリバリー班」として、ここから毎日10台前後の車が出発する。
100ヶ所以上の避難所を回って、今何が欲しいか、困っていることはないか、
近くに孤立した地域や個人はないか、聞いて回る。


北は岩手県大船渡、陸前高田、宮城県気仙沼唐桑から南は雄勝、女川、牡鹿半島まで、
津波にやられた海岸線をひたすら・・・
瓦礫の町を走り、車は日に日にほこりまみれて、ナンバープレートすら読めなくなってくる。


私たちが到着したのは、混沌とした状態から抜け出そうとシステムが立ち上がった日で、
私は物資を仕分ける「フロア班」のまとめ役になった。
毎日【アウトドア義援隊】の本拠地である天童市から2トントラックで物資が運ばれてきて、
ひたすら仕分けをする。
それとは別に個人からも何十箱の宅急便が届く。
手紙なども同封されており、全国からいろいろな人たちが一つの思いで届けてくれたのだと実感する。


それにしても毎日の大量の物資。毎日2トンに加えて、個人からの物資70箱などが届く。
いかに被災者の人たちが必要としているものを効率よく整理できるかが役割なのだけど、
その荷物の山に呆然としてしまうことも。
夜の10時に2トントラックが到着したり、4トン×2台+2トン×数台が到着し、
心が折れそうになることも・・・


ついてからの2,3日は、夢中で仕分けや新しく来た人たちへの対応を行っていたのだけど、
だんだん、被災地で必要とされている物資と届けられる物資のミスマッチがでてきた。
被災地の人たちにも段階があって、地震が起こってすぐは、とにかく生命を維持するための
最低限のものが必要とされる。毛布、カイロ、おむつなどの消耗品など。

それからは着の身着のままで家を飛び出してきた人たちへの着替え、下着、生理用品など。
そして震災後3週間、復興の意思を示してきた人たちが、ブラシや長靴など、
がれきの町の掃除用具、洗濯道具などをリクエストするようになっていった。

とにかく2,3日単位で、必要なものがどんどん変わっていくのがわかる。
小さい子は他地域に疎開するなどで、わりと年配の方が多いこの地域では、
2週間もレトルトを食べ続けることがどんなにつらいか想像に難くないし、
20代の子が着るような下着は、80歳のおばあさんになかなか渡しづらい。

そんなこんなでもどかしい思いをしたことが多くあった。


この点に関しては、現地からもっと情報発信しないとみんなわからないのだけど、
すべてができたての組織の中ではそんな仕組みも難しかった。
ただ、4.5日もするとだんだん物資のリクエストも通り始めたのか、
だんだんとニーズにあったものも届くようになった。


とにかく物資を送ってくださるみなさんは、できるだけ新鮮な情報を手に入れて、
できるだけ早く送って下さると助かると思います!


最新の情報は、
豊志のくりこま高原物語
 →ニーズの高い物資と、今ほしがっている人材について載っています。
エコセンHP
などを参考にしてみてください。
【つづく】

(早くカメラ届かないかな~ぁ汗


同じカテゴリー(東日本大震災)の記事
宮城にて7
宮城にて7(2011-04-06 00:08)


この記事へのコメント
現場の様子がひしひしと伝わってきました。体育館の寒さは、仙台の取引先の人から聞いていましたが、「とても居られない」って。体育館も、防災のために床暖房にしておくとか、熱源も考えてこれからは建てないとだね。
仕事が終わったら、また書くね。
Posted by あすか at 2011年04月05日 13:00
お疲れさま。

明日からうちのスタッフ3人も岩手に向います。2週間、瓦礫撤去を主にしに行くんだけど、かなり過酷なものになりそう。正直心配です。

実際に必要なものって、想像してわかるものじゃないんだね。ゆうちゃんみたいなボランティアの人達が外部に伝達していくことで助かる人達がいるんだね。

でも、もしかしてまだ孤立している人達がいるのかもと考えただけで、やるせない気持ちになります。

今できる事を精一杯やってる人達の行動に頭が下がります。
Posted by yuka aka みちわかる at 2011年04月05日 17:57
こちら福島は、やっぱり風評被害です。農家さんは、JAに種もみの浸水から遅らせるように通達を受けていて、不安な日々を過ごしておられます。だいぶ、原発もおさまってきましたが・・・風評被害はこれからでしょう。
一方で、長野県が福島県産の農産物を買うと言ってくれて、大きな取引になりそうであったり、それはでも民間レベルでやっています。会津若松市は、避難者の対応にてんてこまいで、そういうことまで考える力がないみたいです。
会津は、空きマンションが全部埋まって、体育館や温泉地にも避難者の方がおられます。
日本に52あるという原発ですが、平野啓一郎さんのツイッターで、実はすべて自然エネルギーでまかなえるという情報が。
よかったら見てみてね。
Posted by あすか at 2011年04月05日 18:16
あっちゃん
 そうだよね、福島は地震と原発の2重の苦しみだね・・・本当にきれいな日本の海と大地が汚染されてしまって、悲しいよ。確かに、原発なくても大丈夫という意見あるね。こんな大きな代償を払わなくてもいいようなやり方、やっぱ模索しないといけないよね。

みちわかるん
 そうなんだ仲間もいくんだね。心配だね、普段とは全然生活スタイルが違うし、寒いから、体調はほんと気をつけないとね。おかしくなったらすぐ休むが大事だ!自分があってのボランティアだし。私も、現場をちょっとみたので、伝えていくのが役目かな、と思ってるよ。でも現地は伝えきれないくらいほんといろいろな状況があって、やるせなくなる・・・よ。
Posted by がっちゃがっちゃ at 2011年04月06日 19:42
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
宮城にて3【登米市の現地本部】
    コメント(4)